世田谷区議会 2011-10-18 平成23年 9月 決算特別委員会-10月18日-08号
熊本前区長が就任したときに、よどみしがらみを払拭するということをおっしゃいました。この一連のことというのは、私はよどみしがらみということにも関係してくるのではないかとも思っています。ですので、再三申し上げますが、デジタル映像コンテンツ事業がどういう経緯で取り組まれることになったのかということ、そしてそこに区はどのように主体的にかかわったのかということをしっかりと明らかにしていかなくてはなりません。
熊本前区長が就任したときに、よどみしがらみを払拭するということをおっしゃいました。この一連のことというのは、私はよどみしがらみということにも関係してくるのではないかとも思っています。ですので、再三申し上げますが、デジタル映像コンテンツ事業がどういう経緯で取り組まれることになったのかということ、そしてそこに区はどのように主体的にかかわったのかということをしっかりと明らかにしていかなくてはなりません。
熊本前区長も予防型行政ということでいろいろ力を入れておりましたけれども、年をとると、定年されたりすると、やはり体を動かすとか、外へ出たり、また友達づくりといってもなかなか難しくなるというのをよく耳にするんです。
熊本前区長においては、日本一子育てしやすい町世田谷という明確な方針とビジョンが示されて、国有地の利用を国内で最も早く実現したり、小中学校や公園の敷地にも保育園の分園を設置するなど、全庁を挙げて保育待機児の解消に取り組んできたわけですけれども、保育施設の整備により、さらなる需要がますますふえているという状況だと思います。
熊本前区長は、倍のスピードで道路整備を進めると区民の生命と財産を守るという信念を持って、区内の基盤整備に取り組んでこられました。 道路整備は総論賛成、各論反対の最たる事業と言えます。だからこそ、自治体の長が決断し行政が一丸となって、区民が安心して暮らせる町をつくるという信念を持ち、粘り強く取り組んでいかなければなりません。今後の区の道路整備をどのように進めていくのか見解をお示しください。
私は、熊本前区長が葬儀委員長を務める葬儀で弔辞を述べるに当たって、大場元区長の「手づくりまちづくり」と題する本を読ませていただきました。 大場元区長が、昭和五十年、一九七五年の公選制復活時の区長に当選、就任をされたころは、石油ショックを経たとはいえ、当時はまだ高度経済成長時代の余韻を残していました。
この間、世田谷区においては、熊本前区長がスポーツの世田谷を標榜し、平成二十年の四月に、教育委員会の枠を超えて区全体でスポーツ振興に取り組むこととして、区長部局にスポーツ振興担当部を立ち上げ、公認競技大会として開催される「世田谷246ハーフマラソン」の充実、総合運動場野球場の人工芝化、小中学校への夜間照明の設置、大蔵第二運動場の開設など、スポーツ振興・普及、施設の整備に取り組んでこられました。
一方で、区長選挙におかれましては、熊本前区長の後継と名乗る方が当選されたわけでもなく、東京都知事とがっちりスクラムを組んでいくという候補でもなく、また、共産党の推薦する候補者でもありませんでした。
熊本前区長が引退を表明する中で選挙は戦われました。区民の中に熊本区政にかわる新しい区政への期待が広がりました。区長選の結果、区民は、民主党でもなく、石原知事のひもつきでもなく、熊本区政の継承でもない区長を選びました。 保坂区長は選挙で、高齢者や障害者の声、医療、介護、福祉の現場の声を聞き、必要なものを区独自に支援すると公約しました。