長崎市議会 2020-09-11 2020-09-11 長崎市:令和2年第5回定例会(5日目) 本文
この間、核兵器禁止条約の採択後、署名する国も増えていっていますが、やはりそういう国際社会、国々の動きを進めていく上で谷口稜曄さんら被爆者が呼びかけられたヒロシマ・ナガサキの被爆者が訴える核兵器廃絶国際署名、県内でも署名を推進してきた「ヒバクシャ国際署名」をすすめる県民の会が目標としてきた県内50万人分の署名を達成したと発表されました。
この間、核兵器禁止条約の採択後、署名する国も増えていっていますが、やはりそういう国際社会、国々の動きを進めていく上で谷口稜曄さんら被爆者が呼びかけられたヒロシマ・ナガサキの被爆者が訴える核兵器廃絶国際署名、県内でも署名を推進してきた「ヒバクシャ国際署名」をすすめる県民の会が目標としてきた県内50万人分の署名を達成したと発表されました。
若くなっているというのは、子どものときの体験だけを語っている方がもうだんだんだんだん残ってきて、谷口稜曄さんの経験を誰が語るかというときには、もう誰もいないと。
被爆者の故谷口稜曄さんの写真を掲げ、谷口さんの言葉を紹介して、改めて各国指導者の被爆地訪問を要請するとともに、核兵器禁止条約の発効に向けて努力するよう各国政府代表に訴えました。会議の合間には、核兵器禁止条約の成立にご尽力いただいたコスタリカ政府代表のホワイト大使に、平和首長会議で集めた核兵器禁止条約の早期締結を求める署名18万8,083筆を手渡し、協力を要請しました。
早速ではございますが、去る8月30日にご逝去されました故谷口稜曄氏への長崎市栄誉市民の称号の贈与に関する件について、ご報告させていただきます。 資料の3ページをごらんください。
まず初めに、先月末から今月2日にかけて、長年核廃絶運動を牽引してこられた元長崎大学長の土山秀夫先生、そして日本原水爆被害者団体協議会の代表委員であられた谷口稜曄さん、赤い背中で有名な方でございました。偉大なお二方の御逝去に伴いまして、深い哀悼の意をあらわしますとともに、御冥福をお祈り申し上げます。
また、8月30日には、長崎原爆被災者協議会会長の谷口稜曄様がお亡くなりになりました。谷口様は、みずからの被爆体験、背中の大やけどの写真をさらし、反核・平和運動のリーダーとして世界に向かって核兵器廃絶を訴えてこられました。亡くなられました土山秀夫先生、谷口稜曄様のお二人に対し、市議会議員として、直爆被爆者の一人として心からご冥福をお祈り申し上げます。
一方では、長いこと核廃絶運動、被爆者運動の先頭に立ってこられた谷口稜曄さん、背中が赤く焼けただれた写真で有名です。また、元長崎大学学長で医師の土山秀夫さんが相次いで亡くなるという出来事もありました。本当に残念です。 この問題での1点目の質問は、7月7日に国連で採択された核兵器禁止条約についてです。
長崎に投下された原爆で背中に大やけどを負い、核廃絶運動に尽力された日本原水爆被害者団体協議会代表の谷口稜曄氏が8月30日に逝去されました。9月2日には組織や党派を超え一市民の立場から核兵器廃絶を訴え続けた元長崎大学部長の土山秀夫氏が逝去をされ、二つの大きな柱を失いました。(「学長」と呼ぶ者あり)学長、済みません。学長だそうです。済みません。二つの大きな柱を失ったところです。
国際平和ビューロは、ことしのノーベル平和賞の候補に日本被団協、そして、長崎の被弾者である日本被団協代表委員の谷口稜曄氏など3氏を推薦しました。その被団協は、ことし4月末から開かれるNPT再検討会議に谷口稜曄氏を初め、最大規模の代表団を送ることにしています。
NGOセッションでは、日本被団協を代表して、長崎の被爆者、谷口稜曄さんが、被爆直後のご自身の写真を掲げながら、原爆のむごさと核兵器廃絶を訴えられました。会場からはスタンディング・オベーションが起き、自席に戻られるまで拍手が鳴りやまず、被爆者の存在感に会場は圧倒され、強く印象に残る瞬間となりました。
19日 │ ├─────────┼─────────────────────────┤ │件 名│ 原爆症認定制度改善のための陳情 │ ├─────────┼─────────────────────────┤ │陳情者の住所・氏名│ 長崎市岡町8-20 │ │ │ (財)長崎原爆被災者協議会 会長 谷口 稜曄
つまり、核攻撃が始まったら、あるいは核爆弾が破裂したら、すぐ障害物の陰に隠れろと、閃光は見るなと、そんなこと言われても、とっさに隠れることができないから、例えば、私どものところの山口仙二や谷口稜曄は、ああいう目に遭ってしまったわけなんです。あれは決してあの2人がぼんやりしていたわけじゃないんです。閃光と同時にものすごい熱線が襲ってきた、隠れる暇もなかったと。
高齢化した被爆者にかわり、なぜ、ここに遺構があるのかを語り継ぐ貴重なものだということを訴えられましたし、当時、この救護所で救護を受けられた谷口稜曄さんは、多くの被爆者がここで亡くなり、焼かれ、今も魂が残る場所だと。58年前の過去を葬り去ってはいけないという痛切な訴えをされました。私もそのとおりだというふうに思います。
開会式においては、ウエーバー市長、ミュンヘン駐在の田辺日本総領事に続いて、市長代理としての私と中野市議会議長さん、語り部としてご同行いただいた被爆者の谷口稜曄さんがあいさつを行い、引き続き行われたテープカットにも参加をいたしました。ウエーバー市長はあいさつの中で、ドイツにおいても戦争を知らない世代がふえており、青少年に戦争の悲惨さを伝えていく上からも今回の原爆展の意義は大きいと強調されました。