14件の議事録が該当しました。
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該当会議一覧

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長崎市議会 2020-09-11 2020-09-11 長崎市:令和2年第5回定例会(5日目) 本文

この間、核兵器禁止条約の採択後、署名する国も増えていっていますが、やはりそういう国際社会、国々の動きを進めていく上で谷口稜曄さんら被爆者が呼びかけられたヒロシマ・ナガサキの被爆者が訴える核兵器廃絶国際署名県内でも署名を推進してきた「ヒバクシャ国際署名」をすすめる県民の会が目標としてきた県内50万人分の署名を達成したと発表されました。

長崎市議会 2018-06-07 2018-06-07 長崎市:平成30年第2回定例会(1日目) 本文

被爆者の故谷口稜曄さんの写真を掲げ、谷口さんの言葉を紹介して、改めて各国指導者被爆地訪問を要請するとともに、核兵器禁止条約の発効に向けて努力するよう各国政府代表に訴えました。会議の合間には、核兵器禁止条約の成立にご尽力いただいたコスタリカ政府代表ホワイト大使に、平和首長会議で集めた核兵器禁止条約早期締結を求める署名18万8,083筆を手渡し、協力を要請しました。

長崎市議会 2017-09-06 2017-09-06 長崎市:平成29年第3回定例会(2日目) 本文

また、8月30日には、長崎原爆被災者協議会会長谷口稜曄様がお亡くなりになりました。谷口様は、みずからの被爆体験背中の大やけど写真をさらし、反核・平和運動のリーダーとして世界に向かって核兵器廃絶を訴えてこられました。亡くなられました土山秀夫先生谷口稜曄様のお二人に対し、市議会議員として、直爆被爆者の一人として心からご冥福をお祈り申し上げます。  

島原市議会 2017-09-01 平成29年9月定例会(第5号) 本文

長崎に投下された原爆背中に大やけどを負い、核廃絶運動に尽力された日本原水爆被害者団体協議会代表谷口稜曄氏が8月30日に逝去されました。9月2日には組織や党派を超え一市民の立場から核兵器廃絶を訴え続けた元長崎大学部長土山秀夫氏が逝去をされ、二つの大きな柱を失いました。(「学長」と呼ぶ者あり)学長、済みません。学長だそうです。済みません。二つの大きな柱を失ったところです。

長崎市議会 2010-06-07 2010-06-07 長崎市:平成22年第3回定例会(1日目) 本文

NGOセッションでは、日本被団協を代表して、長崎被爆者谷口稜曄さんが、被爆直後のご自身の写真を掲げながら、原爆のむごさと核兵器廃絶を訴えられました。会場からはスタンディング・オベーションが起き、自席に戻られるまで拍手が鳴りやまず、被爆者存在感会場は圧倒され、強く印象に残る瞬間となりました。  

諫早市議会 2007-11-19 平成19年陳情文書表(第4号) 開催日:2007-11-19

19日             │ ├─────────┼─────────────────────────┤ │件       名│ 原爆症認定制度改善のための陳情         │ ├─────────┼─────────────────────────┤ │陳情者の住所・氏名│ 長崎市岡町8-20               │ │         │ (財長崎原爆被災者協議会 会長 谷口 稜曄

長崎市議会 2006-03-16 2006-03-16 長崎市:平成18年総務委員会 本文

つまり、核攻撃が始まったら、あるいは核爆弾が破裂したら、すぐ障害物の陰に隠れろと、閃光は見るなと、そんなこと言われても、とっさに隠れることができないから、例えば、私どものところの山口仙二や谷口稜曄は、ああいう目に遭ってしまったわけなんです。あれは決してあの2人がぼんやりしていたわけじゃないんです。閃光と同時にものすごい熱線が襲ってきた、隠れる暇もなかったと。

長崎市議会 2003-12-11 2003-12-11 長崎市:平成15年文教経済委員会 本文

高齢化した被爆者にかわり、なぜ、ここに遺構があるのかを語り継ぐ貴重なものだということを訴えられましたし、当時、この救護所救護を受けられた谷口稜曄さんは、多くの被爆者がここで亡くなり、焼かれ、今も魂が残る場所だと。58年前の過去を葬り去ってはいけないという痛切な訴えをされました。私もそのとおりだというふうに思います。  

長崎市議会 1997-03-03 1997-03-03 長崎市:平成9年第1回定例会(1日目) 本文

開会式においては、ウエーバー市長ミュンヘン駐在田辺日本総領事に続いて、市長代理としての私と中野市議会議長さん、語り部としてご同行いただいた被爆者谷口稜曄さんがあいさつを行い、引き続き行われたテープカットにも参加をいたしました。ウエーバー市長あいさつの中で、ドイツにおいても戦争を知らない世代がふえており、青少年に戦争の悲惨さを伝えていく上からも今回の原爆展の意義は大きいと強調されました。

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